2026年7月9日木曜日

第41回学習会の報告

 先住民族の視点から見た脱植民地主義と国連

      -包括的差別禁止(反差別)法をつくろう!-

 



主催挨拶長谷川

 


司会野平

 

上村英明さんを講師にお迎えし、上記のタイトルで、学習会を6月18日午後6時から、衆議院第一議員会館の多目的室で行った。排外主義を掲げる政党の躍進、高市政権の後退していく人権政策。大学教員・NGO活動家・前衆議院議員として、経験豊富な上村さんから是非、お話を聞きたいと企画し、実現した。

講師上村英明

 


 

<自己紹介>


会場正面に映し出られた講演のパワポの表紙の、眼鏡をかけ、あご鬚のシロクマさんがマイクを持って話す「人権シロクマヒデポン」の画は、最近のご自分のキャラだとのこと。最近はうろうろしている黒クマは撃たれる恐れがあり、白クマです、と笑いを誘い、お話は進んで行った。

20年間大学で、国際法の国際人権法を教えた。44年間NGOの活動家として「先住民族の権利主体について-アイヌ民族・琉球民族の権利回復」に取り組んだ。  活動のきっかけは、中曽根康弘総理が「日本は単一民族と言った時から。この間かなり、単一民族神話を葬ってきたかなとは思う。その後の麻生などもその神話が好き多文化・多民族社会という発想がない人たちで、現在の「日本人ファースト」につながっている。

衆議院議員(れいわ新選組)だった1年余り、内閣委員会の一般質疑でアイヌ民族に関し6回、琉球民族に関し1回、問題を取り上げたが、少数政党には配分時間が少なかった。

 

<先住民族とは>


*nativeとminorityの違いは、nativeは外からきた入植者ではなく、もともとそこに居た人たち。例えば、native taiwaneseと言えば、台湾原住民族ではなく、本省人を指す。それに対しminority=少数者は、国家の枠組みの中にいる人たちであることが前提となる。

 「先住民族=indigenous peoples」という概念は、国連に登場したのが1980年代で、脱植民地化のプログラムと関連が深い。

 各国で、土地や自然が精神性と深く結びついている先住民族の固有の政治・経済・文化の価値や権利は、いろいろな社会進化論の影響により、見えなくさせらている。  脱植民化のその恣意的な適用に対し、先住民族は植民地主義の犠牲者である、という義申立てが行われた。それは各国だけでなく、国際社会で議論されるべき人権概念であるとして、1970年代から国連人権機関で注目を集め始めていた。

 しかしそれに対して、国家、特に欧米先進諸国は、自分たちの国の存在が否定されることにもなりかねないため、この人権概念の登場には反発が強かった。

 

<脱植民地主義の試みと失敗>


 最初の試みは、第一次世界大戦後の 講和にむけ、1918年に米大統領が発表した、いわゆる「ウィルソンの14ケ条」の第5条。しかし、植民地解放も自己決定権も曖昧な表現になっている。当時、米国は中小国家で、超大国は英国とフランス。この両超大国の前で、米国ははっきり物申すことができなかった。最も 明確に実現したのが、14条目に挙げられた一般的な平和機関としての国際連盟。その中には、「委任統治」という制度があり、敗戦国の植民地を国際連盟の管理下に置く制度が出来上がった。わずかだが、一歩前進だった。

他方、1945年の国連憲章は、正面から植民地主義をとらえようとした。「人民の  同権及び自己決定の原則」が第1条2項に書かれ、第11章「非自治地域(委任統治領)」、第12章の「国連信託統治制度」が置かれた。非自治地域は、当初委任統治領の引継ぎで、信託統治は第二次世界大戦での新たな敗戦国の植民地解放を目指した。とくに、後者は、国連の監督の下で自治や独立の支援をすることになった。

第二次世界大戦は、ドイツのナチズムや日本の軍国主義による人権侵害が酷く、  国際協力の主軸に人権保障が掲げられ、その中心に自己決定権が明記された。いわゆる脱植民地化の理念が明記されたのである。

1950年代になり、その理念の実現のため、戦勝国の植民地解放プログラムが始められた。宗主国の自己申告で、植民地のリスト化である。しかし遅々として進まなかった。なぜか?自分たちは勝ったのに、なぜ不利益を被るのかという、我がままである。スペイン・ポルトガルはこのプログラムを明確に拒否した。狡猾な国もある。例えば米国は、ハワイやアラスカをリストにあげながら、その後本国から白人移民をどんどん送り込み、人口の半分以上が本国からの移民になった段階で、住民投票を実施し、本国の州として再統合された。

そうしたごたごたの中で、新しいアジア・アフリカの国連加盟国を中心に、1960年、国連で、民族自決権を明確にした「植民地独立付与宣言」が採択され、1962年には「非植民地化特別委員会」による宣言の履行監視が行われるようになった。そして、アジア・アフリカの多くの植民地が解放された。しかしそれは先に宗主国が認定した海外の植民地がほとんどであった。ここでも宗主国内の植民地いわゆる「先住民族」と呼ばれる権利主体は、脱植民地化プログラムから棚上げにされた。

 

<アイヌ民族と琉球民族、そして日本>


*アイヌ民族

 蝦夷地はアイヌ領土だったが、1869年の植民地化で「北海道」として日本に併合された。幕末の日本では、米国やオランダとの間には国境問題はないが、ロシアとの間には国境問題があった。どんどん南下するロシアに対し、日交渉で日本政府は、「アイヌは古来から日本国民」と言った。しかし、ロシア政府からは、住民登録された日本人は、松前藩領の外に居住実態があるのか、そこには国内制度が敷かれているのかと詰問した。

上村は、国会で「1869年以前は、上記の点から、アイヌ民族の土地は日本の領土ではないですね」と質問したが、政府は反論出来なかった。江戸時代の鎖国によって明確化されていた領土に、北海道島(日本の20%の広さ)がまず併合され植民地化された。土地は、移民、資本家、高級官僚に分配され、資源も収奪された。先住民族には差別的な分配が行われる一方、文化や宗教、価値観は全面的に否定され、強制同化の上に名目上の保護が行われた。植民地主義は、トップの支配者が自由に富を分配し、入植者のように、そのおこぼれに預かる人たちも多い。

 1899年「北海道旧土人保護法」が成立。その後、日本政府は1981年に、国連に「アイヌは同化が完成して消滅」と報告した。1997年「アイヌ文化振興法」が成立し、「北海道旧土人保護法」は廃止。2019年に「アイヌ施策推進法」が制定され、ウポポイという施設が作られたが、日本政府は先住民族としての権利を全く認めていない。

*琉球民族

1872年「版籍奉還」(版は土地、籍は人民で、武士のものであったそれらを天皇に返す)をして、「琉球藩」を設置した。版籍奉還により本来のヤマト民族を再統合したという名目で、琉球民族の土地であった琉球を、1879年「琉球処分(琉球併合)」により植民地化をし、「沖縄県」として日本政府の支配下に置いた。

1945年、沖縄戦で米軍の軍事支配下となり、1972年に本土復帰。その後、本土資本による開発があり、現在、米軍や自衛隊の強化により、現在も根本的な問題は、何も解決されていない。

 

<アイヌ民族、琉球民族と国連>


アイヌ民族と琉球民族の権利については、日本国内で議論をするベース・土台(その概念や法制度等)がない。そのため、国連の人権に関する憲章機関と条約機関を効果的に使うことが重要なポイントになった。

 国連には、1987年にアイヌ民族から初めて「国連先住民作業部会」に参加。琉球民族は、1996年に同じ部会に初めて参加した。先住民族に関わる国連の機関等を挙げると、憲章機関は、「国連先住民作業部会」「先住民族問題に関する常設フォーラム」がある。条約機関には、「自由権規約委員会」「社会権規約委員会」「人種差別撤廃委員会」等があり、先住民族の権利に関する特別基準も策定されている。

日本では、人権がまず言葉化されておらず、さらに一歩進んでルール化もされていない。その結果、多くの分野で、人権侵害や差別をあきらめて生きている当事者たちが多い。それを変えていくひとつの方法が、国際社会が作ったルールで自らの社会を検証することだ。先住民族の場合、上記の他にも、さまざまな「特別手続き」と呼ばれる「特別報告者(具体的には、先住民族の権利特別報告者)」や「独立専門家」などとの協力があり、その他、国連先住民族特別総会(1992年)、世界先住民族会議準備会(2013年)、世界先住民族会議(2014年)があったし、ILO条約会議などもある。

 本講義の重要なテーマのひとつ、国連勧告をどう有効に利用するかでは、まず国連人権機関やそこに集まった人材を多面的、多角的に利用することが重要だろう。

 

<先住民族の人権課題>


 2007年国連総会で採択された「国連先住民族の権利宣言」に「先住民族の人権」として言葉化され、明記されている。


① 先住民族であり、権利主体であることの確認。

ところが日本政府は、「アイヌ民族は一切の先住権のない先住民族であり、琉球民族は、先住民族の認識・権利はなく社会通念上固有の民族ではないという立場だ。

② 自己決定権を保持し、政治的・経済的・文化的権利の国際法上の主体である。
③ 土地・資源の権利を持つ。- 鉱物資源、林産資源、漁業(海洋)資源、等
④ 歴史・教育・文化・言語の権利
⑤ 国境を自由に移動する権利
⑥ 遺骨・遺品の権利(返還の権利)
⑦ 環境保護の権利
⑧ 軍隊からの自由    …などなどである。

 

<国連人権機関の勧告 その価値とは何か>


国連勧告活かすには国内の立法機関(国会)司法機関(裁判所)が、勧告を車の両輪ように動かすことが不可欠である。

① ところが、私自身の経験でも、国会議員のほとんどが、国連人権機関の役割や、   国際人権法の有効性を理解していない。

また法曹関係者も、国際法、国際人権法を学ぶ機会がない。

 さらにメディアがよくない。国会議員の経験から言えば、国会周辺のメディアは、それぞれの社の政治部記者だが、彼らは、派閥や政争、政権の動きにばかり目を向け、社会問題に基本的に疎い。NGO時代に付き合ってきたのは、社会部記者だが、社会問題への感性まだましだと思う。その意味では、国会議員の発信は市民運動と協力し、社会部を使うことだと思ったことが少なくない。

② 国連人権機関の勧告が、「法的拘束力がない」といわれる点を否定する必要がある。

国連の中で強制力があるのは、「安全保障理事会」のみと言われる。いわゆる法的拘束力だ。だから拒否権がある。しかし、人権機関の強制力は一般の法的拘束力ではない。人権機関は一般的に言論の府である。だから何度も何度も審査と勧告が繰り返される。この様式そのものが、国連人権機関の「強制力」であることを理解させる必要がある。

③ 国内機関だけでは人権は保障されない

 日本では、地裁から最高裁までの三審制があり、個人通報制度などそれ以外の制度を使うと三審制の権威が損ねられるという意見がある。人権が守られなければならないのは、制度の権威ではなく、人権を侵害された個人の尊厳だ。もちろん、ドイツやフランスにも三審制はある。しかし、ヨーロッパには、EU人権条約、EU人権裁判所があり、自国で三審を越えてEU人権裁判所へ、そして国連人権機関へと次々訴えられることで、人権が保障されている。国内だけの制度では、大きな偏見の中で人権が侵害されることがある。日本もこうした謙虚な姿勢を人権分野でももつべきだ。

 

<包括的反差別法にむけて>

 2019年に「アイヌ施策推進法」が出来たが、実効性は弱い。札幌市は今年の5月にやっと、アイヌ委員会の専門部会という形で第三者機関の設置を決めた。こうした遅れは致命的で、札幌ではアイヌ・ヘイトのイベントが繰り返されている。

 2019年に川崎市では、「人権尊重のまちづくり条例」が制定。ヘイトスピーチを罰則つきで禁止している、日本で唯一の条例。背景には、在日コリアンの人たちの運動の歴史があり、問題を知っている市職員もいる。そういう自治体では政策も進むので、自治体が専門家を育てる必要もある。

この社会で人権や人権侵害救済の議論が行われていくため、私たち市民の役割は問われている。その具体的な目的のひとつが包括的差別禁止法である。

 

こうした大切な呼びかけで講演終わった。

 限られた時間の中で、「原発の材料のウランは、先住民の人たちが採掘されていると聞く。私は原発反対です。」という質問が出た。

 上村さんは「ウランを掘り出しているのは先住民。どこでも危険な現場で働かされているのは、弱者。ウランの鉱床を知っているのは、先住民。広島・長崎の原爆のウランは、アフリカのコンゴで掘られた。最初はウランと言わず、銅を掘ると言って働かせた。

福島原発の事故があった時、政府や企業からは言われないのに、オーストラリアの住民の鉱山労働者からは、自分たちが止められなかったとお詫びが来た。先住民とウランの問題は、世界中で大きな問題。」と応えた。

 

 国会議員、自治体議員、秘書の方たちを含む70人を超す参加者。講演終了後も、参加者たちは上村さんを囲み、質問や意見交換が続いた。それだけ、関心のあるテーマであり、とても有意義な学習会だった。

 

まとめ:高木澄子  写真:石川美紀子)