2018年6月7日木曜日

第26回学習会の報告


「国連・人権勧告の実現を!」第26回学習会

2018年5月31日


 「婚外子差別を国連に訴えて」というテーマで、「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」の田中須美子さんに講演をしていただいた。以前から、男尊女卑、家制度に疑問を持っていた田中さんは、1973年にパートナーと非婚で共同生活を始めた。生まれた子どもが、「摘出でない子」として住民票や戸籍の続柄で差別記載されたため、1988年に住民票続柄裁判をはじめに、1999年には戸籍続柄裁判も起した。地道に根気よく、裁判闘争をしながら国連に訴えるという国際的な運動としてこの運動を続けられた。30年に及ぶ運動を1時間半でお話しいただいた。内容が豊富で広範囲で時間が足りなかったと思う。
以下講演内容を簡単にまとめる。

 まず住民票続柄差別記載の撤廃を求めて裁判を起こした。一方の姓の放棄、嫁扱い、性別役割の強制などに疑問を持ち、婚姻届を出さなかった。子どもが生まれると「子どもが可哀そう」という周囲の非難と共に、出生届、住民票の続柄差別記載、戸籍の続柄差別記載で子どもが法律で差別された。「嫡出子」「嫡出でない子」と分けて、婚外子を法律で差別していることは、憲法第14条の法の下の平等違反であり、憲法13条24項の個人の尊重・個人の尊厳保障への違反である。これは人権侵害だ。そういう主張から裁判を起こした。

 1995年に住民票続柄差別の撤廃。1998年には父認知による児童扶養手当打ち切り撤廃。2009年に国籍上の差別撤廃。2013年に民法相続差別規定の撤廃と改善が行われてきた。
しかし、今なお、出生届で「嫡出子」かどうかチェックされ、戸籍の続柄で婚外子と一目でわかる差別記載がされたままなど戸籍法、民法上、所得税法などで11項目にわたる差別は残っている。

 国内で裁判を行うと同時に、国連への働きかけも行った。1989年に国連自由権規約委員会から「婚内子・婚外子の差別」の問題でゼネラルコメントが出た。1990年には、子どもの権利条約作成の中心人物であるアダム・ロパトカさんから「婚外子差別」問題でメッセージが出された。1991年の裁判判決で「婚外子記載には合理性がある。国連人権規約に反しない」との総括所見が出された。

 そこで1992年から国連自由権規約に訴える行動を起こした。1993年に、国連人権規約委員会は、「婚外子に対する日本の法律を改正し、差別的条項を削除するよう勧告する」と出した。この結果、1994年に住民票の続柄差別記載が撤廃され、世帯主との続柄はすべて「子」と統一された。1995年に高裁で婚外子問題について「プライバシー侵害」「法の下での平等違反」という判決が出た。

 1998年5月には、子ども権利委員会日本審査で委員全員が婚外子差別問題と条約の整合性なしと指摘し、日本に改善を求めた。1998年10月には、自由権規約委員会からも婚外子差別で「社会的偏見」を生むなどの指摘があった。

 2003年には女性差別撤廃委員会に「婚外子差別は同時に非婚で子どもを産む女性への差別である」と訴えると、過半数以上の委員が「母子双方への差別である」と日本に撤廃を求めた。2013年に最高裁法廷で民法相続差別規定は憲法違反であると裁判官11人全員一致で決定した。これは10回にも及ぶ勧告の効果でもある。婚外子差別法制度の最大の根拠だった相続差別規定はなくなったが、その他の法的差別は残っていることから、2014年に自由権規約委員会、2016年に女性差別撤廃委員会へ改めて訴えた。 
 
 国連勧告の効果としては、裁判で勧告を活用し判決に反映してきたこと、地方議会に対し婚外子差別に関する陳情に効果があったことである。すでに10の地方議会で意見書や要望者などが国に出されている。これまで国連からの勧告は11度にわたっている。今後も差別撤廃の訴えを続けるつもりである。差別をなくすために家族登録簿である戸籍制度を廃止し、個人登録制度に変えていった方がよい。

 以上質問に答える形でお話になった分も一緒にまとめたが、30年にわたる持続力と信念の確固さに敬服した学習会だった。