2013年10月25日金曜日

第2回学習会の報告


「国連・人権勧告の実現を!」第2回学習会報告

第2回の学習会は、IMADR-JCの企画による、「とどろかせよう!アイヌ、沖縄・琉球の声(世界に認められた先住民族の権利をもとに)」でした。会場の松本治一郎会館会議室には、約40人の参加者が集いました。

 最初に、「沖縄と大和(ウチナーとヤマトゥ)ウチナーグチとヤマトゥグチそしてウチナーンチュとヤマトゥ」と題して、琉球弧の先住民族会代表代行の当真嗣清さんから提起を受けました。
 奄美・沖縄・宮古・八重山で成り立つ琉球弧という範囲の中で、その一部からの報告であるという断りがあり、タイトルにあるようになぜ、ヤマトンチュと言わず、ヤマトゥ―としたのか、チュは人を表すのでそれがないということは人でなしということ。ヤマトの差別の酷さを表現しつつ、沖縄でもその内部に差別構造を内包していうことの指摘もありました。
 沖縄差別の例として、各県にある国立高専が沖縄にできたのは2004年、辺野古に、そして沖縄大学院は2011年に名護にやっとできた。日本全土の0,6%しかない土地に74%もの米軍基地が集中し、沖縄全権あげての基地撤去・オスプレイ配備撤回要請建白書を持参しての東京のデモでは、「売国奴」の罵声まで浴びせられ、沖縄の平和教育は思考停止だと、右傾化した教科書が強制されている。
 翻れば、中国残留孤児には年金が支給されたが、沖縄の人々は復帰後、掛け金をまとめて支払わされ、多額の支払いで苦しんだ人もいて、銀行から借入せざるを得なかったこともあった。
 米軍の軍属・兵士はパスポートなしで来日する、5万人もの人が密入国しているのだ。
 TPPでは沖縄のパインは守るといっているが、ほんの一部の産業であり、農家と漁業者の対立を煽っている。
 9月18日はシマクトゥバの日。かつて方言札をつけさせられた経験もあり、公教育で奪われた言葉は公教育で取り戻させたい。9月限定の琉球新報や沖縄タイムスの記事を紹介しながら、ヤマトへの厳しい告発が続きました。

 沖縄選出の衆議院議員、玉城デニーさんが参加されていたので、玉城さんから今、問題になっている八重山の教科書採択について詳しい説明がありました。

 続いて、「先住民族として文化だけではないアイヌ民族の権利回復を」と題して、アイヌ民族評議会会長・北海道アイヌ協会副理事長の阿部ユポさんからお話を聞きました。
 ユポさんは縄文時代からの歴史の中で、狩猟生活から渡来人によって農耕生活が定着し、人種の二重構造ができたこと、九州から大和を支配した大和朝廷が先住民族アイヌを蝦夷(エビはゆでると赤く丸くなることから卑屈な姿勢を表現)と称し、征夷大将軍を派遣して北の地に追いやり、やがて明治になり、アイヌを旧土人と称する「旧土人保護法」を作り、創氏改名、アイヌ語もアイヌ文化である女性の入れ墨も禁止した。
 アイヌは元来個人所有をしないが、実質的にアイヌが居住し、利用していた土地を「無主の地」として奪われた。日本人には開拓時に一人33haの土地を与え、狩猟を禁止されたアイヌは餓死者も出すようになってやっと一人5haの土地が与えられた。
 「アイヌ文化振興法」が制定されたが、文化の伝承を教室で習得してもそれを使う場ができていない。奪われた土地はすでに民間のものとなってしまったので、せめて入会地はアイヌの土地として返してほしい。
 アイヌからの要請として、教育・文化の回復、アイヌ出身の特別議員を選出する、民族自立化基金を設立する、アイヌの権利回復のために審議会を設置する、などの具体的要請を上げられました。

 二人の報告を受けて、市民文化センター代表の上村英明さんから、コメントがありました。
 いかに国連勧告を実現させるかという観点から、戦後日本社会が多数決原理に基づく普通の人重視の中で、個性ある人々が排除されてきたことを考えるべきだ、不公正・不正義社会の現実をチェックしようと発言されました。そして、中央と辺境という視点を持って活躍したアメリカのアンドリュー・ジャクソン(5ドル紙幣にあるひと)は初の開拓者の子孫として政府のトップになったが、教育の普及に努め、アメリカの民主化に貢献したと同時に、インディアンを虐殺したことも忘れてはならない。琉球やアイヌが決めたことをヤマトは妨害するな、民族の自己決定権を尊重することが日本社会の多元化も実現する、とまとめられました。

 会場とのやり取りもいろいろありましたが、アイヌの言語を取り戻すことについて、ユポさんの娘さんが朝鮮学校について大学で研究していて、奪われた言語を取り戻すために学校を作ってきた朝鮮学校の歴史、実績はアイヌについて大きな示唆を与えてくれるものだと言われたことは、この学習会で学習していることがつながっているという実感がわくものでした。