2020年7月22日水曜日

第34回学習会の報告

第34回学習会の報告
 
 6月16日の連合会館。

 久しぶりの学習会だった。電車に乗って出かけるのがためらわれ(何しろ若い友人から早い時期に言い聞かされたのだ、トリアージの場面になったら70代以上の持病持ちは、間違いなく人口呼吸器は使えずそこまでとなるから、絶対に感染しては駄目!!と)、電車はほとんど使わず、ひとにも会わず読書ざんまい。しっかり歩き、幸いにも閉じないで頑張ってくれた友人の自然食レストランが命綱だった。

 そんな私(似たような人も多かったと思う)には、この日のお話はとても新鮮で、改めてもうオリンピックはやるべきでない、はやくやめろ!という思いを深くするものだった。

・2020年東京五輪を前に考えること「孫基禎の人生からオリンピック・人権を考える」

 話し手は寺島善一さん(明治大学名誉教授)ご専門はイギリスのスポーツとのこと。
孫基禎(ソン・キジョン)さんの息子さん孫正寅(ソン・ジョンイン)さんもご同行くださった。

 五輪が、その憲法ともいうべきOlympismからどれほど無縁なものとなっているか、から話が始まった。いつどこでやるか、チケットはどうやって配布されるのか、それ以前にどこでどうやって物事が決まっていくのか、さっぱりわからない。しかもあらゆることが巨大な利権につながっている、1から100までどこまでも商業主義で決められ、スポーツの祭典だから素晴らしいと参加する人々の素朴な思いは、どこにも届かないし、つながらない。寺島さんはそれを、一つずつ細かにご自分の体験につないで、正確な知識と共に話され

<スポーツと人権をめぐる諸問題―スポーツと政治は無関係と言ってスポーツマンの発言を封じる政治性>

●競技場に「旭日旗」持ち込みが現実に起きたこと、今回の東京五輪にも持ち込んでよい。それが問題はないと政治家が発言している

●クルド人労働者への警官の暴行(これはアメリカの話ではない)が実際に起きており現場のビデオ録画は放映もされ、また入管での暴力問題など(餓死者も出た!!)も私たちは知らなくてはならない

●朝鮮学校に対する差別と排除がとどまらない。マスク不配布どころか教育無償化からの排除が(幼稚園まで)広がっている一方である。

●ひどいヘイトスピーチも野放しで、いかなる反省もないどころか拡散している(京都の小学校での悪質なヘイト行動が実質的には問題にされていないし、実行者は反省していないどころか行動はエスカレート。7月13日大阪高裁に注目!!)

●毎年行われている9・1朝鮮人虐殺慰霊祭に、小池は追悼文を送らず。(石原でさえ送ったというのに)すぐ隣で在特会そよ風が大声でヘイトをわめき、大きな看板をだし雑言をまき散らすことを問題にせず、それどころか慰霊祭を行ってきた(多くの被災者が逃げ込んだ被覆廠跡)都立横網町公園の使用には誓約書を出せと言ってきた

●コロナウイルスは中国から来たという政治家らのデマを根拠に中華街のお店に脅迫状が届いている

●いまだに消えぬ東北・九州の地震被害、福島原発の見通しのつかない後遺の数々
等はすべて知らぬ顔で、「福島はアンダーコントロール」の大嘘で勝ち取った2020東京オリンピックの招致だったことなどを、改めて確認することから始まった。

 つくづく私たちはなんておひとよしで忘れっぽいんだろう、と改めて反省。

 そしていかにOLYMPICが商業主義まみれ状態であることか。来年になったといっても酷暑の夏にできるわけがない。競技者や参加者の健康問題は完全無視、すべては最大スポンサーの米国NBCにおもねったものということも、企業の都合あわせがすべてに優先し、利権の巣窟であることも私たちは知っている。そこに巨額のお金が動いていることも。

 必然的に商業主義が最優先され、そこに過剰な勝利至上主義が跋扈する。選手の競技成績は商品価値につながるからドーピングも汚いプレーも勝つためには必要となる。スポンサー以外の食品も飲み物も会場で販売禁止、聖火ランナーのシューズまでチェックされる。

 さらに性差別、レイシズム、環境破壊・汚染、政治介入と果てしなく問題は広がるばかり。ムスリムやLGBTなど参加が許されない人々も出てくる。必要のない神宮外苑の再開発は利権も絡んでいる。都営住宅に住んでいた人が排除され、終の棲家を追われた人々も生まれている。もともとは都市国家間の争いを一時中断して始まったはずのOLYMPICだったのに、国家間の威信をかけた戦いの場となっているし、競技成績がアピアランスマネーに直接かかわっていることは多くの人が知っている。SAY NO TO RACISM FAIR PLAY  PLEASE! との叫びが上がろうとも、むなしい。五輪憲章への明確な違反などは歯牙にもかけない。金メダル30個を目指す、滅私奉公、批判するものは「非国民」などの言葉が平気でぼんぼん飛び出す。世界の平和運動であるべきOLYMPICと真逆のことが進んでいる。

 翻って、本日のテーマ孫基禎の人生を考えてみよう。

<孫基禎さんの身の上に降りかかった人権蹂躙、人間の尊厳への攻撃―日本帝国主義の朝鮮支配の一断面>

 彼は日本の植民地支配下で1936年のベルリンオリンピックに参加している。聖火リレーを発案し道路整備され、政治利用され尽くした感があるナチスオリンピックだった(記録映画は晴らしいが)。孫さんは選考過程のひどい差別もものともせずマラソン日本代表となり、優勝。金メダルを取った。その事実が鬱屈した朝鮮人への励ましと独立運動につながることを恐れた日本は、彼を監視弾圧の対象とする。故郷に住むことは許されず明治大学に進むが、陸上競技に参加することは許可されなかった。「箱根駅伝を走りたかった」が遺言だったとは悲しい。

 しかし一方で素晴らしい経験もたくさんあったようだ。陸上100,200mの優勝者・黒人のジェシー・オーエンスとは長い友人関係が続き、差別に負けないと励ましあったということや、のちの東京オリンピックを実現させた大島鎌吉(1932年ロス五輪三段跳び三位)が開会式で陸軍軍人の孫さんに対する差別を糾弾してくれたこと。レース中に「スロースロー」と忠告して、孫選手の自滅を防いでくれた、英国のハーパー選手。ビスマルクの丘で、いのちの水をくれた女性等々、一人でスポーツするのでなく、仲間がいることがいかに必要かということも強く思うようになったということだ。表彰式で胸の日の丸を手渡された月桂樹で隠したことが「消えた日の丸事件」と大々的に報じられる事に繋がった帰国後、一切の歓迎行事も禁止されるなど、戦争終結までの弾圧など孫さんに対する監視、扱われ方は本当にひどい連続。だったという。

 しかし孫さんのスポーツと平和に関する思想はきっちりと根を張り、広がっていった。戦後は故郷で自宅を開放して後輩の育成に尽力し、平和の大切さを訴え行動し続けたという。1950年のボストンマラソンでは韓国が1,2,3位を独占したのもその実証。朝鮮戦争が始まり、その後の軍事政権が続く中でも、平和が何よりも大事と行動し続けた。また「アフリカで五輪を」の運動を起こす一人となって、五輪の南北問題解決を目指すなど、大きな思想は聞いているだけでも胸がわくわくしてくるものだった。「恨」の感情を越えて、2002年のワールドカップサッカー日韓の共催に尽力したり、プロ野球の日韓交流に尽力されるなど、本当にすごい人だったのだと思う。しかしそれに日本は答えるどころか、孫さんの葬儀すら無視、ベルリンの金メダルは韓国にカウントしてほしいといくら願っても今も実現していない(メダルは韓国の記念館にある)。

 では今の私たちにとってオリンピックはどんな意味を持っているのだろうか。1978年のユネスコから発信された体育・スポーツ国際憲章が述べていることと、オリンピック憲章が述べていることがきちんと一致しており、私たちがさんざん振り回されている東京五輪は、オリンピック憲章に書かれているように、「スポーツを通した世界の相互理解、友好連帯」の趣旨を貫徹するとすれば、東京五輪は、このスポーツから人種差別を撲滅する絶好のチャンスだと寺島さんは話を結ばれた。
 
 孫さんの御子息で、寺島さんと親しく交わっていらっしゃるという孫正寅さんのお話しからは、控えめで、かつ行動力のある孫基禎さんのお人柄などにも触れてくださるいいお話が聞けた。毎年秋には韓国で、孫さんを記念するマラソン大会が行われ、寺島さんもゲスト参加されているとのこと。
 
 オリンピック憲章など読んだこともない担当大臣がいたり、電通を中心にした、すさまじい経済活動に使われているオリンピック、この際1年延期などという無理なことはやめて、一から再生する良い機会にできるのではないだろうか。

 大坂なおみさんや八村さん等スポーツ界や芸能界関係者の政治に関する発言などもいろいろ自然体で聴かれるようになった。

 こういう力が社会の再生に大きな役割を果たしてくれるのではないかと期待したい。

                           (まとめ 丹羽雅代)