2018年3月24日土曜日

第25回学習会の報告

「戦後日本で暮らした宋神道(ソン・シンド)さんの人生と「日韓合意」」
講師  梁澄子さん

 2つの大きなテーマを90分で語っていただくのはかなりの無理な要求だが、梁さんは早口ながら、説得力ある語り口でこなしてくれた。全体を大きな8項目で整理したので、その項目に従って、概略を報告する。

1.宋神道さんとの出会い

 韓国では1988年にキーセン観光に反対するセミナーで尹貞玉さんが初めて「慰安婦」について講演。1990年に挺対協が発足。1991年に金学順(キム・ハクスン)さんが慰安婦であったことを名乗り、同年金さん含めた訴訟が開始。92年に4団体で「慰安婦110番」が設立され、宋さんの情報が届けられた。すぐに川田文子さんが宋さんを訪問。少し遅れて梁さんも面会。

 そのときの強烈な印象が忘れられない。「お前は朝鮮人か。俺は朝鮮人は嫌いだ。~~」の毒舌の中に自分を試していた宋さんの本心が見え、この人は人の本質を見抜く力を持った人だと思い、のちに95歳の生涯を看取るまでの付き合いが始まった。

 やがて、東京で宋さんを囲む会が持たれ、「在日の慰安婦裁判を支える会」が結成される。残念ながら裁判には負けてしまったが、宋さんは裁判を通して信じられる支援者と出会い、幸せだと語る。「裁判には負けたが俺の心は負けてない。」は有名な言葉で映画のタイトルにもなった。そして宋さんはいつも「戦争は絶対にやっちゃいけない。」と言っていた。

 支援者たちとの交流が進むも、2011年の東北大震災の時に女川にいた宋さんは行方不明になってしまい、支援者たちは必至で探し、避難している宋さんと再会できた。その後、東京に転居し、見守られながら最後は施設で95歳の生涯を閉じた。

 2、活動を通して被害回復をした日本軍「慰安婦」サバイバーたち

 今、話題になっている「少女像」は「平和の碑」として2011年に水曜デモ1000回記念として建立。少女像・おばあさんの影・椅子・碑文の4点合わせて「平和の碑」と言う。

 碑文には「~その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する。」とある。

 また、2012年に設立された「ナビ基金」は日本政府から賠償金が出たら、今も戦時下で被害にあっている女性たちに全部あげたい。」という金福童(キン・ボクトン)さんと吉元玉(キル・ウォノク)さんの思いが作らせたもので、コンゴの性暴力被害者やベトなム戦争時に韓国兵によって性暴力を受けた女性と子どもたちへの支援などに生かされている。そして、「米軍慰安婦」との交流や訴訟支援も開始された。

3、「日韓合意」直後の韓国の被害者と市民の反応

 2015年12月28日突然行われた日韓合意に対して、被害者たちは、「ハルモニたちのためにと言う考えがないようだ。日本は真に罪を認定し、法的な賠償と公式な謝罪をすべきだ。私たちの名誉と人権を誰が踏みにじったのか。ハルモノたちに一言の相談もせずに妥結など納得いかない。」と厳しい発言が続いた。

 合意発表直後、挺対協は失望感で放心状態だったが、発表直後の水曜デモでは市民の怒りが爆発し、「少女像を守る大学生行動」が提起され今も日本大使館の前で座り込みが続いている。そして各大学からの抗議声明も続き、32自治体の首長たちが「平和の碑」建立を支持する全国連帯結成、日韓日本軍「慰安婦」合意無効と正義の解決のための全国行動(全国行動団体500参加)ハルモニたちの国連各人権委員会への合意の問題点を知らせる嘆願書提出、全国行動主催の2000人集会など、市民たちは怒りの行動を続けた。

 そして、2016年、「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団」が発足し、翌2017年に「希望のたね基金」が日本で設立された。この希望のたねツァーでは若者の参加を支援、参加者は本当のことを知らなかった、と感想を述べ、5月に報告会を開催予定。

4、日韓合意の何が問題なのか

○合意の内容

 ①日本政府は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」「責任を痛感」し、安倍首相は内閣総理大臣として「心からお詫びと反省の気持ち」表明。

 ②韓国政府設立財団に日本政府予算で10億円支出し、元「慰安婦」すべての「名誉と尊厳の回復、心の癒しのための事業」を行う。

 ③両政府は②の措置が着実に実施されることを前提に「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」し、今後、国連等国際社会において、本問題について互いに批判することを控える。

 ④韓国政府は、在韓日本大使館前の「平和の碑」に関して、「適切に解決されるよう努力する。」

○合意の問題点

 ①被害者不在の合意。

 ②8か国の被害者・支援者の総意で作成提出した「日本政府への提言」(2014年)は全く反映されず。

 ③金福童さん「日韓合意が一番悪いのは、歴史を売ったこと。」

 ④代読謝罪であり、賠償ではない。

 ⑤真相究明、再発防止措置に触れず。

 ⑥重大人権侵害問題に「最終的・不可逆的解決」はありえない。

 ⑦韓国以外の被害者に考慮なし。

5、日韓合意後の日本政府の言動

 2016年1月の国会答弁から2017年の2月外務省統一見解まで、日本政府は次のような見解を述べている。

 ・請求権は1965年に解決済み。

 ・強制連行を示す記述は見当たらないという立場は不変。

 ・慰安婦強制連行の見方は、吉田清治氏の虚偽発表を朝日新聞が大きく報道。

 ・10億円は賠償と受け取られないよう、医療・介護・葬儀関係費・親族の奨学金などを想定して現金支給。これで、日本側の責務は完了。

・「慰安婦」被害者への総理のお詫びは毛頭考えていない。

・安倍総理が「日本は義務を実施、10億円拠出しているのだから、次は韓国が誠意を示すべき。(平和の碑関連)

・「平和の碑」は外務省が「慰安婦像」で統一する方針。

・安倍総理の「まるで振り込め詐欺」発言で韓国側猛反発。10億返そう。

6、韓国政府による合意検証と新方針

 2017年文政権発足。外相直属の「韓・日 日本軍慰安婦被害者問題合意検討タスクフォース(TF)発足。

  TFは検討の結果、非公開部分で日本政府が挺対協の説得や海外に慰霊碑等の建立不支持、性奴隷と言うことを使わない、日本側が「最終的」の他に「不可逆的」を要求。「被害者中心アプローチ」を重視、被害者の受け入れがない限り、問題は再燃する、などを発表した。韓国の運動体はすでに支援金を受け取った人も等しく被害者として、これまで同様の支援を続けている。

 国連人権専門家たちの認識として、CEDAWが「日韓合意は被害者中心のアプローチを採用していない。サバイバーの見解を考慮し、彼女たちの真実・正義・被害回復に対する権利を保障すべきと勧告。ほかに、ザイド・フセイン国連人権高等弁務官や国連人権専門家共同声明でも同様の見解が出されている。

2018年康京和外相が韓国政府の新方針を発表。 

  ・日本政府が拠出した10億円は韓国政府の予算で充当。

  ・再交渉は求めない。

  ・日本が自発的に、国際的な普遍基準に則って、真実を認め被害者の名誉と尊厳の回復と心の傷の癒しに向けた努力を続けることを期待。

 ○金福童さん「日韓合意が解体と理解。韓国が返すお金を受け取れないならきちんと謝罪して、そのお金を賠償金だと言えばいい。」

7、韓国政府の新方針に対する日本の反応

 ○日本政府

 ・1ミリたりとも合意を動かす考えはない。(菅官房長官)

 ・意味がわからない。韓国大使館の公使を呼び厳重抗議(外務省)

 ・国と国との約束を守ることは国際的かつ普遍的な原則。韓国側が一方的にさらなる措置を求めることは、全く受け入れることはできない。(安倍総理)

○ メディア

 ・理解に苦しむ。納得しがたい。合意の根本を傷つけた。外交常識に外れ、非礼。
 わかりにくい対応。 
  など、沖縄タイムズ・毎日・朝日・読売・産経などほとんど


8、最近の韓国政府の見解

 2018年2月国連人権理事会の定例記号での康外相の発言
 被害者中心のアプローチが欠如していた。被害者たちの傷を癒し、尊厳と名誉を回復するために、被害者や家族市民団体と協力して、過去の過ちが繰り返されないよう、現在と未来の世代が歴史の教訓を学ぶことが重要。

 2018年3月1日の文大統領演説
 加害者である日本政府が「終わった」と言うべきではない。不幸な歴史ほど、その歴史を記憶し、その歴史から学ぶことが真の解決。日本は人類普遍の良心を持って、歴史の真実と正義に向き合わなければならない。日本が苦痛を与えた隣国と真に和解し、平和共存と繁栄の道を共に歩むことを望む。

 日本政府はこうした韓国側に対して、日韓合意は国と国との約束。責任を持って実施すべき。性奴隷と言う言葉は事実に反するので使うべきではないと確認。慰安婦の強制連行と言う見方は虚偽の事実捏造を大手新聞社が事実のように報道したことから始まった、などの見解を出している。


最後に

 日韓合意のことは宋さんに伝えることができなかった。すでに高齢で認知症の症状が出ている宋さんを安らかに見送りたいと思った。2017年12月16日に95歳の生涯を閉じた宋さんを韓国の若者が空港で待っていてくれた。そして天安(チョナン)にある望郷の丘に埋葬し、宋さんはやっと故郷に帰れた。2018年の2月に行ったお別れの会には200人もの人が参列した。宋さんが亡くなって以来、「ごめんね。と言う言葉しかかけられないでいたが、お別れ会の最後に遺影に向かって出た言葉は「宋さん、良かったね。」だった。
  
  出会いから最後まで、深い付き合いのあった宋さんと支援者の皆さんの人間的な交流の重みと温かさを伝えていただく学習会だった。