2018年9月1日土曜日

第27回学習会の報告

第27回学習会の報告

第27回学習会 「国内人権機関・個人通報制度」は、日本でなぜできないのか?
講師 寺中誠さん(東京経済大学現代法学部教員)

 参加者は32名でしたが、熱のこもったお話びっしりの中身で2時間じっくりお話くださいました。人権条約体からの勧告および普遍的定期的審査において繰り返し日本に求められている国内人権機関および個人通報制度を中心にした選択議定書批准であるが、未だ日本はこれに対応していない。国際的人権基準を国内で実施するためには国内人権機関と個人通報制度がいかに重要であるのか、そこにお話の中心がありました。

 人権について国際法と国内法は2つの体制、並列しているものであり、個々人の人権保障の義務を負うのは各国政府であり、国際法は個々人の人権保障に直接関与しない。国連人権条約は自動執行性がないので直接国内の人権課題解決に適用されるわけではない。国際法と国内法を接続していくには何が必要か。

 ここに国内人権機関の必要性がある。憲法により条約を誠実に遵守することが義務付けられてはいるが、行政は国内法なしに、国際法の人権水準をそのまま適用して主体的に実施することはできない。

 パリ原則に基づく国内人権機関の任務は、政策提言(監視)機能、国際協力機能、調査・研究・広報機能、そして補完的に個別救済機能がある。国際人権水準をものさしに国内人権水準をチェックし、国連からの勧告等を実施するため、政策提言や政策の監視をしていくことが最も重要となる。そのための調査・研究・広報であり国際協力である。個別救済機能も上記の政策提言や監視の一つの材料としてもまた生かしていくためのものと言っていいだろう。個別救済機能のない国内人権機関もまた存在する。

 人権擁護法案は法務省であれ内閣府であれ、その外局であれ、独立性がなく国内人権機関の制定法案とは言えないことは明らか。

 個人通報制度は国際法と国内法の二元論の例外として、直接個別の人権問題を国連人権条約体が取り扱うものであるが、最高裁まで争って国内手続きを尽くしていることとその人権条約の違反が明白である場合に制限されている。確定判決を覆す効力はなく、あくまで「勧告」にとどまる。しかし個人の救済に直接つながらなくとも、国内の制度改革に繋がり国際的にも大きな影響を与える場合もある。

 そもそも日本政府が国内人権機関および個人通報制度を拒否し続ける理由はなにか。国際法と国内法の二元主義を否定しひたすら国内法一元主義に執着し続けるのはなぜか。ここが当日のお話のハイライトだった。

 日本は、英米法や国際的な基準である「法の支配」をではなく「法治国家」に執着し、法は国家が制定するものであり、それを超える価値に強く反発し、法を論じる際に、「価値」や「目的」を論じず、手続きに拘泥し価値に基づく批判は法に反するものとして却下しようとする。

 これは、山城博治さんの逮捕拘禁や、精神病院への拘禁に関しての国連からの批判に対し、常に日本政府が法律の手続きによっていて正当と反論することを思い出させる。実体を問わない反論しか政府はしない。もちろん死刑執行についても同様であり、政府は死刑制度そのものへの批判には一切答えようとはしない。

 国際法との接続は「法の支配」を復活させるものであり、価値の議論を法のレベルでしっかり行うことである。「法治国家」への執着は、ナショナリズムそのものであり、「国際法」概念はこのナショナルな価値を超えるところに価値を見出しそれが現在の世界を形成している。寺中さんのこの指摘こそ今私たちが根源的に日本の法体制のあり方を問う視点であり国連人権勧告実現への最大の障害克服の道であろう。

 寺中さんの最後の指摘、多くの法専門家が、ナショナルかつ男性中心的な価値を基本としてこれまでの社会の仕組みを築いてきたことと無縁ではないという点は重要。

 21世紀最初の人権条約である障害者権利条約は障害者も人間であり、他のものと平等な人権保障をという意味で人間の概念を拡大し、分離隔離された別立ての処遇から、他のものと平等なインクルーシブな法体系、社会を求めていると言える。しかしながら精神障害者の人権保障を求める法律家、精神保健専門職、精神障害者運動も含む市民運動の中には未だ精神障害者を分離隔離した人権保障を求め、精神保健福祉法改正ないし、精神障害者への特別の法体制を求める流れもある。こうした、精神病院への拘禁について法手続きの厳密化を求め実体を問わない主張は、この政府の「法治国家」への執着の忠実な追随とも言えよう。

 安倍内閣の国連人権勧告に従う義務なしという閣議決定に対して、私たちは国連人権勧告実現実行委員会を結成して取り組んできたが、人権勧告実現を阻むものは一人安倍内閣の姿勢のみならず、より構造的な日本政府のあり方、および日本の市民運動、法専門家の取り組みの問題点にあるといえるのではなかろうか。

 おりしも42年間にわたる中央官庁の障害者雇用枠の水増し問題が暴露され、それは行政のみならず、司法、立法に及んでいることが明らかにされた。あまりに強固な障害者排除の姿勢であり、長年の骨絡みの体質である。この三権のあり方を見ただけでも、独立した国内人権機関と個人通報制度の必要性は明らかとなったと言えよう。